- スコットランドの反撃で疲弊する前に電光石火の攻め
- 福岡堅樹が2トライの活躍を見せ日本はA組トップで予選通過
(翻訳を書いた時の英語原文記事:https://web.archive.org/web/20191013132537/https://www.theguardian.com/sport/2019/oct/13/japan-scotland-rugby-world-cup-match-report)
(記事本体は今、更新されてこんな感じになってます。そういうこともあるのね: https://www.theguardian.com/sport/2019/oct/13/japan-scotland-rugby-world-cup-match-report)
ノーサイドは、今回のラグビーW杯を熱く燃え上がらせた。日本を、ではない。またもや、ラグビー界全体が痺れる試合となった。日本代表ブレイブ・ブロッサムズはチーム史上初めて決勝トーナメントへの進出を決め、あのブライトンでの勝利から4年、南アフリカと準々決勝で再び相まみえることとなった。
試合前には、まだ日本を「ティア2」にすぎないと評する論客もいた。しかし今日をもって、そんな上から目線のレッテルは誰にも使えなくなった。対アイルランド戦の時と同じように、日本は何度となく観衆の心を奪った。そのプレイには、スコットランドを相手に4トライも決めて予選敗退に追いやったという以上の素晴らしい価値があった。
スコットランドのプレイやディフェンスが稚拙だったわけではない。日本がその傑出した実力をまたしても証明したということだ。アイルランド戦で逆転のトライを決めて勝利をもぎとったウィング福岡堅樹が今回も2つの貴重なトライを成功させ、スコットランドがやっと猛反撃に出るまで、一時は28-7にまでリードを広げた。
ホスト国である日本は今、死者を出し国土を破壊した台風被害からの復興の最中であり、苦境に立たされている。このような時にラグビーの試合などは瑣末なエピソードにすぎないが、この勝利は少なくとも何がしかの慰めになったのではないだろうか。
前半の日本の戦いぶりに憧れを感じない国はないだろう。ニュージーランド人コーチ、ジェイミー・ジョセフとトニー・ブラウンの功績である、素早く賢く、正確で創造的なプレイは、スコットランドを瞬く間にダメージ抑制モードに追い込んでしまった。
フィン・ラッセルが試合開始後まもなく得点し、その直前にはダーシー・グラハムをアシストしてトライ直前まで持ち込む活躍も見せ、いい流れを作ったが、日本は赤と白の疾風となって絶え間なく動き続けた。前半に決めた3つのトライは、いずれも絶品だった。
日に日に目覚ましい働きを見せる松島幸太朗の最初のトライを演出した福岡のオフロードも素晴らしかったが、直後の中盤での猛ダッシュ、そこからトンプソンルークがルースヘッドプロップの稲垣啓太にオフロード、最後は稲垣がポスト近くにトライを決めるという、一連のプレーも秀逸だった。ペナルティーの機会に田村優が2度失敗したキックが決まっていれば、日本はもっとリードを広げていただろう。しかし、スコットランドがその失敗に救われたのも束の間だった。
ハーフタイムが見えてくるころ、日本は再びフォワードを左に展開し、名手ラファエレティモシーがスコットランドのディフェンスラインを抜く低いボールを絶妙に転がすと、ややイレギュラーに高くバウンドしたそのボールを猛ダッシュしてきた福岡が片手でつかみ、スチュアート・ホッグをかわしてチーム3本目のトライを決めた。
前半戦における日本の地域・ボール支配率は75パーセント、稼いだ距離はスコットランドの54メートルに対して339メートル。ハーフタイムを迎えての21-7という得点差に、スコットランドが言い訳できる余地はない。ジョニー・グレイの頭が堀江翔太の頭に当たったプレーでグレイがレッドもイエローも食らわず助かるという場面もあったが、日本がすぐさま攻撃のテンポを一段と上げてきたことで、スコットランドのなす術はますます失われていった。
後半開始わずか3分弱。スコットランドのセンター、クリス・ハリスが自陣で引き倒されると、動揺するハリスの手からボールをもぎとった福岡が、そのまま誰に止められることもなく走り抜いて4本目のトライを決め、ボーナスポイントを確保する。事実上、これでスコットランドの運命は決まってしまった。
こうなれば、スコットランドはトゥイッケナムでイングランドを相手に見せたような後半の復活劇をまた演じるしかない。奇跡再びかと思わせる瞬間も、あるにはあった。まずは WP・ネルの突進がゴールラインを割る。そして、ラッセルがクイックスローで鮮やかなカウンター攻撃の口火を切ると、途中交代で入ったザンダー・ファーガソンがチーム3度目のトライを決める。しかし、結局それでは足りなかった。今日は日本のための夜だったし、日本の試合運びはそれに十分値するものだった。